女ひとり、嵯峨野を行く
一人で居ることは、苦痛じゃない。
むしろ楽しい。
たとえ親しい人でも、ずっと一緒に居ると、わずらわしくなる。
旅行は一人で行きたい。
一人で食事することは寂しくない。
映画は一人で見たい。
一人が好き。一人で居たい。一人暮らしが好き。
何日も人と接することがなくても、平気。
好きなものに囲まれていれば、寂しくない。
寂しくない、寂しくない。
わずらわしいことを抱え込むぐらいなら、一人で居る方がいい。
そうして、私は、一人になった。
望みどおりに、わずらわしいものを捨てて。
気楽で、幸せだ。
人肌のぬくもりも忘れ、心の痛みも忘れ。
「寂しくないの?」
とは、よく聞かれる。
「強いね。」
とも、言われる。
人にどう思われようと平気だし、「変わった人」で、済まされて、それ以上踏み込まれない方がいい。
心を閉じたままで。
どうせ一人で、いつかは死ぬのだから、一人に慣れておいた方がいい。大事なものを失った時に、寂しさで壊れてしまわぬように。
人は、一人では生きていけないというけれど。
一人で生きていけるように、なりたい。
そう思ってはいるけれども、それは「強く」なろうとしているのではなくて、ただ、逃げ続けている弱虫の敗者の道を進んでいるだけではないかと、思う。
逃げて、逃げて、一人で、逃げて、逃げ続けて。
竹林の隙間から、道を照らす光が射し、目が眩む。
寂しさを照らす光に心を射られる、嵯峨野の道。