水上勉 「日本の風景を歩く  京都」

erikosama2006-09-02

 って、本を図書館で借りて読んだのですが、これ絶版になってるわ。残念。

 水上勉の本は、そんなに読んでないのですが、「金閣炎上」と「五番町夕霧楼」(←金閣寺放火事件好きだから)と、あと忘れた。あ、一休宗純関係の本か。一休さんの本の「狂雲集」ってタイトルがいいですよね。
 若狭出身で、京都相国寺同志社大学京都御所の近く)におられたということは知っていましたが。


 この本の内容云々は、ともかく。
「良い文章」と言うのは、「美しい文章」であって、「美しい文章」って言うのは、人を酔わせる文章のことなんだなぁと今更ながら思いました。
 人を酔わせて自分の世界に引き込ませる。しかし、自分は酔ってるようで、実は冷静なのです。酔ってるフリして、人を自分の世界に「人を酔わせる比喩」や「人を惹きつける言葉」を巧みに使って引き込んで、泥酔させる。
 
 だから、酔わせる方には、冷静さと、ある種のズルさと巧妙さと知恵が必要なわけです。人をたぶらかしているわけですから。
 しかし、それは酔う方にとってみれば、そら、もう、たぶらかしが上手ければ上手いほど、心地良く「ありがとう」と酔えるわけです。気持ち良く騙されて。いやんもっと騙して酔わしてんって。

 ああ、これが、坂本龍馬の言う、



「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければこの世で大事業はなせぬ」



 って事なのかな、と思いました。酔わせる事ができなければ、自分は酔ったフリして人を酔わせる事をせず、「訴えたいこと」だけを書き連ねている文章は、もしかしたら理路整然として「感心」する文章かも知れないけど、「感動」させることはできないんじゃないかと、思いました。
 「感心」する文章ってのは、「わかりやすいなー」「よくわかるなー」「これを書いてる人は、頭の良い人だなー」って。しかし、「頭の良さ」なんてのは、論文書く時ぐらいしか、必要じゃないのじゃないかしら。

 で、水上勉氏の「京都」ですが。

 酔わせて頂きました。たぶらかされました。心地良く悔しいほどに、やられてしまうような、「美しい文章」でした。



 うっとり


 偶然ですが、先日、仕事で水上勉氏の故郷を通りました。若狭は、好きです。写真は嵯峨野の山陰線の踏み切り。本文とどう関係があるのかと言うと、金閣寺放火事件の犯人の学僧の母は、事件の後、京都で息子と面会し、山陰線で家に帰る途中、保津峡のところで投身自殺してしまうのです。無理やり本文と、こじつけました。